神谷傳兵衛とは?

刈谷発展の礎をつくった

神谷傳兵衛を知ってますか?

■神谷傳兵衛とは?

明治大正期、近代日本の黎明期に、東の渋沢栄一、西の五代友厚と並び称された三河出身の偉人。

安政3年西尾市一色町松木島生まれ。
・明治13年東京浅草に「みかはや銘酒店」を創業、明治45年神谷バーに改名。
 電気ブランが大人気、財を成す。太宰治「人間失格」にも登場する。
・明治36年国産初の葡萄酒醸造所「シャトーカミヤ」創業(茨城県牛久市)
日本のワイン王といわれる。

🄫神谷バーHPより
🄫神谷バーHPより
シャトーカミヤ
🄫牛久シャトーHPより

・生涯で創立した会社は60社、重役に就いた会社を含めると90社に及ぶ。
・数多くの文化事業や慈善事業に取り組む。
・板垣退助、山岡鉄舟、西郷従道、渋沢栄一等各界の名士とも交流が多い。
・自ら収集所有の美術骨董品668点すべてを現:東京国立博物館へ献納

<板垣退助>大正2年ワインパーティー
🄫牛久シャトーHPより
翡翠香炉(ひすいこうろ)
🄫牛久シャトーHPより
七宝花蝶文鉢
(しっぽうかちょうもんはち)
🄫牛久シャトーHPより

■刈谷との関わり? ~三河鉄道の救世主~

・大正5年、三河鉄道(現名鉄三河線:本社刈谷)の倒産の危機に3代目社長就任。
三河鉄道を知立から挙母・猿投まで延伸。(猿投枝下の良質の粘土を搬送)
刈谷駅近接地に*東洋耐火煉瓦㈱刈谷工場(現アピタ辺り)を創業。枝下粘土活用。
・東洋耐火煉瓦刈谷工場長・技師長大野一造(刈谷名誉市民第1号)との出会い。
・大正11年4月24日逝去(66歳)。今年で没後100年を迎えた。
 *東洋耐火煉瓦㈱刈谷工場は、現クアーズテック(株)刈谷事業所

※篭川橋梁上SL
東洋耐火煉瓦工場
🄫クアーズテック刈谷事業所
大野一造

その後、刈谷の発展
 ~東海道線と三河鉄道の交差した要衝地にトヨタが~

・大正12年豊田紡織刈谷試験工場が設置。
・大正15年㈱豊田自動織機製作所設立(社長豊田利三郎)。自動車製造のため
 工場用地買収を刈谷町に依頼し、買収の残額を寄付として亀城小学校講堂を建設
・昭和2年、依佐美無線鉄塔工事開始三河鉄道小垣江駅から臨時で高須まで敷設
・昭和3年、傳兵衛の死後、養子傳蔵(2代目傳兵衛)が、三河線を吉良吉田まで
 延伸。松木島に赤絨毯敷の貴賓室を装備した神谷駅を建設。(設計・大中肇)
・昭和11年、「トヨタ金融」→1956.7.1「豊田通商㈱
・昭和12年、「トヨタ自動車工業㈱」設立 ~1982.7.1「トヨタ自動車㈱
・昭和16年、「豊田工機㈱」設立~刈谷工機~豊田工機~2006.1.1ジェイテクト
・昭和18年、「東海飛行機㈱」設立(刈谷)→1949愛知工業→1965アイシン
昭和20年、「トヨタ車体工業㈱」→刈谷車体→1953.1.1トヨタ車体
・昭和24年、「㈱日本電装」設立 ~現在のデンソー
・昭和42年、大野一造逝去(81歳) 長男大野耐一はトヨタ生産方式(TPS)を確立した。