今回は、「刈谷のルーツ」ということで、平安時代878年に、苅谷(狩谷)出雲守が出雲から楞厳寺に来たという話から、豊田自動車が挙母に工場をつくまでの刈谷の歴史を一気に伺いました。傳兵衛さんが携わった三河鉄道のお話と刈谷藩土井家時代の家老大野氏のお話(大野定家老ー弟:介蔵氏ー一造氏)なども交え興味深い話で1時間半があっという間でした。
ありがとうございます。刈谷の歴史千年を伝説や異説も交えての90分でした。特に傳兵衛さんが関わったあたりからどうして豊田市にトヨタ自動車があり刈谷にはトヨタ7社があるのか?ここが三河の発展の面白いところでもあります。まだまだ傳兵衛さんと刈谷の発展を勉強会で探っていきましょう。皆さんが語り部になって傳兵衛さんを拡散していきましょう集まるのは大変ですが、人数制限の中、分散して開催してもいいです。グループごとに展開が変わる面白さもありますね! 新入会も対応しましょう(川口)
明治維新の魁となると天誅組の変と刈谷の繋がり、徳川譜代と言う事で厚い支援が希薄だったのか?トヨタG始め三河地区のお金に堅実な気質が導かれた? 維新後の刈谷藩士族へのケアがレンガ工場、ものづくりの街刈谷を築く元になる刈谷駅のお話、今に至る刈谷の発展の不勉強を少しは埋めて貰えました。有難うございました。傳兵衛さんの絡みの中で興味が一段と持てたので、自らも膨らませていければと思います。身近な事ですが、知らない事あります。(安部)